The Scarlet Letter

緋文字
スカーレットレタ-(緋文字)とは、(Adultery=姦通)の頭文字Aを胸につけるという不倫者への烙印である。
以前企業の不祥事についての記事を書いたが、スキャンダル等で、企業が一度傷ついた信用を取り戻す為には、かなりの時間を
要する。一度付けられた緋文字を取り除く事の大変さは困難を極めるものだ。
場合によっては修復不能な状況に追込まれる可能性を考えると風評と言うものが如何に大きく企業の命運を左右するものなのか
理解出来る。激しい競争と、移り気で要求の多い顧客たちに象徴される今日の経済において、悪評を覆すための処方箋は、
『顧客の最大欲求に応え信頼を積み重ねる』と言う事に他ならない。たとえそれが、企業の短期的なビジネスゴールに反する
ものであっても、長い目で見れば顧客のロイヤリティを取り戻す手助けとなるに違いない。

その中には一見投資効果を得難いと思われがちな他社の製品を顧客に紹介すると言った変則的なサービス行為も含まれる。
以前ある百貨店の経営者が言っていたが優秀なデパートガールは客の希望する商品(又はサイズ)が自社に無い場合、隣にある
ライバル店を探すのだそうだ。彼女を頼るリピーター客が増えるのは言うまでもない。つまり信用を得る為には顧客サービスを
優先順位の一位とする以外に、顧客の問題解決を最重要とする高次の視点を持つ事が必要である。
まぁしかしとは言ってもそれはあくまでも企業側の倫理であって裏を返せば問題解決の解釈が先に書いたガーゼビールの一件同様、
金銭によるカムフラージュへと繋がる可能性を否めないのも事実である。

ナサニエル・ホーソーンの小説『緋文字=スカーレットレター』ではディムズデール牧師と姦通したへスターが禁欲の戒めを破った
罰則としてAの赤い一字(緋文字)を胸につけられる罰を受けるが、罪を公開する事でそれを受け入れたへスターに対し
姦通の相手でありながら罪を公にする事が出来ず苦しみ続ける牧師の姿は(自戒の念に苦しむ誠実さを除けば)体裁を守る事のみに
長けた大多数の隠蔽企業と重なる。聖者と崇められたディムズデール牧師同様まさかと思われる老舗企業程、様々なスキャンダルを
抱えている可能性がある事を忘れてはならない。長年積み重ねた表向きの信用と神経質な迄もの回避能力は緋文字さえも見えない
ものとしてしまうのだ。

A(Adultery)の文字を付けられた後のへスターは善行を積み、胸の「A」はANGELの意味だろうと人々に噂される迄になるが、
不祥事が発覚した企業に於いても不死鳥と言わしめる程の精進を期待したい。

Double Agent

敵の攻撃や反発を防ぐ一番の方法は敵の中に味方を潜入させる事である。
国同士であれば工作員やスパイがそれに当たるが、会社組織などでも常に体制に反発していた労働組合の幹部が
実は水面下で会社側と繋がっていたなどと言う話はよく耳にする。マスメディアとて例外ではない。
例えばある昆虫王国に独裁者が誕生したとする。彼は権力を握ると同時に反対派から命を狙われる立場となるのだが、
国民の支持を得る為にまずは自国のメディアを抑えようと考える。

〇独裁者:おいミノムシ君、君はテレビの人気者だから是非とも私を支持する番組を作って欲しい。
▲ミノムシ:解りました。どの様にすれば宜しいでしょうか?
〇独裁者:なぁに簡単な事さ、常日頃私を批判してくれれば良い。
▲ミノムシ:ええっ!それでは貴方の評判が下がるのではないですか?
〇独裁者:いやいやそんな小さな事はどうでも良いのだよ。その代わりここぞと言う時に私を擁護するコメントを
 して欲しいのだ。
▲ミノムシ:はぁ、解りました。しかしそれなら最初から賛同していた方が良いのでは?
〇独裁者:いやいやそれでは駄目だ。日頃私を擁護している君が私の窮地に何を言おうと
 「どうせあいつは飼われている犬だ、また庇っているに違いない」と思われてしまう。
 反対に私を批判し続けていた君が一変して私を庇ったら、逆の論法で国民はその真偽を疑わないだろう。
▲ミノムシ:流石は閣下、読みが深い。早速ズバッとやらせて頂きます。

とまぁこんな事もありえる。
放送法には「・政治的に公平であること。 ・報道は事実をまげないですること。 ・意見が対立している問題については、
できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」 とあるが、アングラな世界までは解ったもんじゃない。
重要な事はコメンテーターや司会者の言う事を全て事実と鵜呑みにせず、まずは自分の頭で考え検証してみる事である。
自称辛口コメンテーターなる輩は特に要注意だ。
								

Glared Hard

昨晩部屋を片付けていたら手塚治虫のサイン色紙が出てきた。 作品のイラストがサインと一緒に直筆で描かれているのでマニアには相当価値ある品だろうと思うが、 昔、同氏の出版記念サイン会で貰ったものだ。当時中学生だった私は繊細でディズニーアニメの様なタッチの手塚作品が 大好きだった。サインだけでは満足せず、イラストも描いてくれと我侭を言う私に対し嫌な顔一つせず快く引き受けてくれた氏の笑顔は未だに記憶に残っている。おまけに余程目つきが悪く見えたのか「君は眼光が鋭いね」と私に対する印象まで述べてくれた。翌日クラスメートに何度も自慢したものだ。彼がいたお陰で日本に漫画文化が根付いたと言われる。特に最近では某議員の票取り演説の影響か喫茶店や電車内で漫画本を読む中年サラリーマンが増えた様に感じるが裏返せば活字文化の質が下がった結果とも言える。TVドラマなどでも漫画をもとにした作品がやたらと多い、現代では漫画と言うものが生活の一部となっているきらいがある。生前氏は自ら漫画を描く立場でありながらもコミックブームに対し批判的な意見を持っていた。「本来なら哲学書でも読むべき世代が恥ずかしげもなく人前で漫画を読んでいる、これでは将来が心配だ」と…もし手塚先生が生きていて昨今の漫画議員の演説を聞いたら何と言うだろうか?天皇陛下の御前でもトレードマークとしてベレー帽を取らなかった先生の事だ、その怒りたるや相当なものだろう。日本から脱出するかもしれない。私は別に漫画自体を否定している訳ではない、ただ手塚氏の様に『自分の利益に反する様な事でも正しいと思った事は歯に衣着せず発言出来る』そんな人間が減ったのではないだろうか。企業の経営者にせよ政治家にせよ己の利権(権益)によって発言が左右される様では理念の欠片もない、正に本末転倒である、色紙に描かれたブラックジャックが眼光鋭く私にそう呟いている様に思えた。どうあれ生前の氏と僅かな時間ではあったが接触出来た事に感謝し、色紙は事務所に飾る事にした。


Corporate Structure

昨晩は某団体の主催する異業種交流会に誘われ参加した。普段は主催する側なので偶には客として呼ばれてみようという試みだ。終了時間も迫った頃、隣のテーブルにいた若い女性が声を掛けてきた。服装も地味で見るからに真面目そうな感じなのだが、驚いた事に株式で700万以上損失したというのだ。もう二度と投資はしないと落込んでいたが、人間見た目では解らないものである。購入したという銘柄は著名な企業ばかりだったが、その安心感が悲劇を招いたのだろう。彼女だけでなく、日本人は企業の本質を善と考えてしまう性質がある。その企業の収益が大きければ大きい程、無条件でその経営者を社会的成功者と見做し、崇高な人物と持て囃す、そこに至る迄の過程等、巨額な利益の前には消し飛んでしまうのだ。よって企業と経営者は法の抜け穴を探し相手を出し抜こうとする様になる、収益が上がれば全て丸く収まるのだから当然の結果と言える。昨今の偽計取引等についても同様であるが株式等購入する場合には大企業程問題を抱えているという認識を持つ事が必要だ。

Impression

幼い頃読んだ童話には現在でも十分通用するテーマを内包しているものが多い、皆さんは狼少年の話(イソップ童話)を覚えているだろうか?羊の世話をする少年が退屈凌ぎに「狼が来たぞ!」と繰り返し嘘を言い続けた結果、本当に狼が来た時には誰にも信じて貰えず食べられてしまう話だ。この話には「嘘を言い続けると、信用を失くしてしまう」という一つの教訓があり、誰もが幼い頃に嘘をついてはいけないと親から聞かされた話ではないかと思う。しかし私は初めてこの話を読んだ時、それとは別の教訓を覚えた。確かに嘘をついた少年は悪いのだが果たしてそれが食い殺された原因(自業自得)と言えるのかどうか、それよりもどうせ嘘だろうと助けに行かなかった大人の思い込みに対する恐怖を感じた。それまでの経験則があるとはいえ人の命が関係している場合に確認もせずに決め付けた判断を下して良いものかどうか、作者の真意は解らんが単に「嘘と信用の話」では済まされない内容に思えたのだ。 考えてみれば昨今の警察の捜査ミスを始め、間違いが起こる時には必ず思い込みの前兆がある。人間の先入観は当てにならんのだ。犯罪を報道するマスコミは例外なく、犯罪者の住んでいた付近住民へのインタビューに精を出す。「子煩悩で・愛想が良く・犯罪を犯す様にはとても見えない」こんな映像が必ず撮れるからだ。電話を使った馬鹿な詐欺が横行するのも人が確認よりも経験則による思い込みを優先している事が原因だろう。慣れや経験等から、相応しい行動を判断する事は大人として間違いではない、しかし、それに完全に染まってしまっては、取り返しのつかない事態を招いてしまう危険性が生じる。特に経験の乏しい子供からのメッセージには騙されるつもりで耳を傾けてみる事が必要だ。 ☆私は学生の頃、この童話を悪用し続けた。当時教師に対してかなり意地の悪い質問をしていた私は手を上げても当てられる事が殆ど無かった。そこで当てて欲しい時にはその都度寝た振りをする事にしていたのだが、教師が嬉しくなって私を指す様な場合には待ってましたとばかりに答えにくい質問を集中砲火させるという策士だった。物語同様、次第に教師の方にも学習効果が生まれ、その内本当に寝ていても指される事がなくなるのだ。

Suspicion

街にクリスマスツリーの電飾が目立つ様になって来た。 毎年の事だがこの時期の灯りは特別に素敵で美しい。 その場に立ち止まって見入ってしまう事も度々ある。 そういえば小さい頃アメリカンスクールの帰りにツリーのライトアップを見ていてスクールバスに乗り遅れた事があった。ランチボックスの住所を頼りに若い女の先生が車で家迄送ってくれたのだがスタイルの良い大人の女性が巨大なマーキュリーを乗回す様は幼心にも魅力的に感じられ、その後も二度程わざとスクールバスに乗り遅れた。『また君?』と微笑む先生の表情に悪びれる様子も無くただ照れ笑いするしかない自分に恥ずかしさを感じながらも困った顔を演じ続けた。その後間も無く先生は(理由は解らんが)学校を辞めてしまい私の計画も終りを迎えたのだが、今でもツリーを見ていると先生が迎えに来てくれる様な気がしてならない。駅のイルミネーションを見ながらふとそんな事を思い浮かべていた

負け犬女性と少子化

先程迄友人と青山の古いスナックで飲んでいた。同じ店に居た女性二人組が何やら大声で口論をしていて酔いも醒めてしまったのだが、年の頃は30代半ばといった所か、聞こえて来る話によるとどうやら一方の女性(既婚者だとは思うが…)に子供が生まれたらしい。相手の女性は未だに独身でキャリアウーマンといった所か、当然子供も居ないのだろう。要するに子持となった既婚女性が同年代の独身女性に対して説教じみた話をしているのである。負け犬論を掲げるている内はまだ良かったが最後の方になると少子化の責任を取れ等と怒鳴りまくり悪酔いする始末だ。まあ既婚女性の言いたい事も解るが世の中にはどう頑張っても妊娠出来ない女性もいて子供が欲しくても授からない夫婦もいる。話を聞いていて(嫌でも聞こえて来たのだが)思ったのだが店に居た独身女性は別にしてもその様な人達に対する優越感が一般的にまかり通っているのでは無いだろうか。妊娠する行為自体を切り札にしている人間も多いが妊娠を切り札にしない男女関係こそ成熟した関係であり妊娠によってのみ継続する男女関係、もしくは妊娠しない事によって破滅する様な男女関係は未熟なのでは無かろうか。 そう言ってやろうかと思ったが余りにも眠いので帰る事にした。